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一緒に歩こうよ。~特別養子縁組しました。~

一緒に歩こうよ。~特別養子縁組しました。~

結婚から不妊治療へ

結婚から不妊治療開始へ

ぱんだとプリンはプリンが40代にさしかかる直前に出会って
すぐに意気投合して結婚をすることになった。
(今考えるとかなりのスピード婚だと思う)
プリンは自分の年齢を考えてプロポーズのときにこう伝えた
「もしかしたらこの年だから子供できないかもしれない」
ぱんだは即答した
「だったら二人で楽しく暮らしていくのもいいじゃない?」
それから半年もしないうちに式を挙げて二人の暮らしが始まった。

結婚してしばらくはいろいろ忙しくて
それとプリンは妊娠についてあまりにも無知だったこともあって
こんな年齢でも普通に夫婦であれば子供はできるのではないかと
考えていた。
3か月も過ぎるころになってやっと重い腰を上げて
ネットで婦人科を検索してその中の一軒の予約をした。
その時はちょっとした手助けさえあれば
できるものだとできるものだと考えていた。
実際実親は子供を5人産んでいる(でも2人は死産)実姉も30代で
子供を生んでいる現実を知っていたので
きっとプリンも簡単に子供を産むことができるなんて考えていたのだ。
子供はできたら2人は欲しいなぁなんて希望に満ちていたなぁ。
現実を知らなかったから

でも治療を始めてすぐに
自分がどれだけの年齢であるのかということと
妊娠についてどれだけ無知であったのかを思い知らされて
しまったのだった。

治療を始めた。
卵管造影検査
フーナー検査
通気検査
通水検査
ぱんだの精子の検査
どれをとっても良好。
でも妊娠のかけらもない。
優しそうなお医者さんははっきりと言った。
「40代だと初めから体外の治療をする方をお勧めしますが」
結婚して半年も過ぎていなかった。
そこまでの覚悟もなかったし・・
とりあえずAIH(人工授精)にチャレンジすることにした。
それも6回まで。
その後は体外にチャレンジすることになる。
両方の両親に不妊治療のことを伝えて頑張ってみようと思った。

初めてのAIHの直後に悲しい出来事があった。
プリンの母が亡くなった。
前日にAIHの報告をして笑顔だった母。
実姉がちょうど実家にいて洗濯ものを干しに行った母が
なかなか戻らないので部屋を覗いたら倒れていて
病院に運ばれたけどもう意識は戻らなかった。

その後は兄弟に連絡を取り
実家はプリンの両親のみで暮らしていたので
実家に泊まりこみ
しばらく忙しい日々を過ごした。
その間に判定はあったけど
もちろん撃沈した。
仕方ないかな・・と自分を納得させながらその後のAIHにもチャレンジしていたけど
いつまでたっても陽性反応は出なかった。
二人の中では高度治療をすれば子供はできるものだなんて思っていたけど
実際はそうではなく
いろんな治療法があることもわかってきた。
プリンは毎日ネットに向かい体にいいことを考えたり
食事を考えたり
そして実家の世話やぱんだの両親の家に顔を出したり
毎日があっという間に過ぎていった。

治療を始めてすぐに
ネットで見つけた不妊治療のサイトに登録して
いろんな人の話を聞き
オフ会などではいろんな人を励ましたり励ましてもらったり
そんなことをして自分を奮い立たせていた。

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